回想

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今入力しようにもカーソルが現れず、焦った。少し前入院していたんだけど、そのあと調子が良く、こんなものかと思っていたら、また不調になった。自分が分からない。でも、何ともなければ病院に縁があるはずがなく、不調になるのが自分かも知れないし、それだから病院に行くのか。八木重吉という詩人を知らなければその昔私は卒論が書けなかった。その中に「絶望と救いの悲しいまでのかすかなひとすじ」という詩があった。私は痛いのは避けたい、でもそれがあって病院に行っている、で今の自分はそのことにしか自分の存在意義がない、誤解を招かずに言うと、そこで私が否定されずにいられる、それに自分は意味を見つけられる。 Read More