病院

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秋になって一人で病院に行った。駅の階段を上り、これが上れなくなったら列車も乗れないんだなぁと思う。病院では、少なくとも自分をそのままに接してくれる人に会い、それだけで自分のいる意味があるように思える。

帰ってきて、何度この階段を上って降りたんだろうと思った。行き先が違ったから乗り場は違うけど、途中からは何十年も前通った、同じ場所を歩く。あの頃も、つらく、つらく、つらかった。階段を見下ろせば、父が立っていた。そのイメージが濃く、もう自分を待っている人はいないんだと思った。父が優しかったのも私が学生の時だけだったがやっぱり、その姿が残っていて、この階段の下には、父の姿があるはずだった。駅で、ただそのことを深く感じ、悲しみが打ち寄せた。高卒の後、あの進路は、よくなかったかと思う。

済んだことは仕方ないけど、とにかく今あの時とは違う方角の駅に向かう。今はそのことで、自分が肯定でき、安心できる何かを受け止めて帰る。これを繰り返して、繰り返すだけなのか、何か進めるのか、自分の力では決められないことなのでわからない。でも、自分のやることは一つしかなくても、その一つに気持ちをこめてやるだけ。